私がどうして「運動施設がないところにこそ運動指導を届けたい」「地域コミュニティを活性化させたい」という思いを持った経緯のお話を3部に渡ってお届け致します。どうぞお付き合い下さい。

幼少期からの私

兵庫県養父市(やぶし)出身。大阪での一人暮らし約10年。現在は奈良県宇陀市(うだし)在住。

幼い頃はどちらかと言うと引っ込み思案の性格でしたが、小学生になると学校の体育の授業などを通して体を動かすことの楽しさを感じるようになりました。

運動に関して特別高い能力があるわけではなかったのですが、運動をしている時には少々の悩み事があってもそれを忘れられる心地よい時間であることも感じるようになりました。

特に仲間と一緒になって遊ぶ馬乗りや鬼ごっこ、自分たちで特別なルールを作って行うかくれんぼなど、幼少期の遊びは楽しい運動だったと捉えています。

小学校高学年になると卓球やバレーボール、テニスに陸上競技など様々な競技スポーツを経験し、楽しいばかりではうまくはいかないが、それでも身体を動かすことの爽快感は変わらずに感じることができました。

そして、中学校2年生の頃には漠然と「身体を動かすことの楽しさを伝える仕事に就きたい」と思うようになっていました。高校を卒業と同時に体育系の短大に進学し、その後大手フィットネスクラブに就職。

エアロビクスやアクアビクスなどのグループエクササイズの楽しさに魅了され、社内で行われる指導者養成コースを受講。エアロビクス、アクアビクスインストラクターとしてグループ指導を始めました。6年半の社員生活にピリオドをうち、海外のフィットネス事情を知りたくて約2ヶ月渡米する。

帰国後フリーインストラクターとしての活動を始め、複数のフィットネスクラブでの指導、企業や自治体における講習会講師、専門学校講師、指導者養成コース講師などを行うように。

宇陀市に移住

その後、結婚を機に奈良県宇陀市に移り住み、縁あって行政の保健事業に関わることに。

運動指導者になってから思い描いていた「運動施設のないところにこそ運動指導を届けたい」という思いに近い活動がスタートし始めます。

行政との連携によって、本当に運動が必要な方にも少しずつ運動指導が届くようになっていき今では市内7か所の運動サークルを立ち上げ、約150名の方が参加されています。

元気に過ごしていくためには心と身体の健康はもちろんのこと、人との関わりなしでは本当の意味での健康とは言えない。

運動指導者として、運動の方法を伝えるだけでなく、人と人とをつないでいく役割を大切にしたい。そして、人生の最後まで心も身体も自分の力で整えていく方法を多くの方に伝えていきたいと考えております。

エピソード2 運動指導、地域密着な仕事へのこだわり